田中宏輔さんの「□詩」を読んで

ネット詩歌同人誌 Oracle より田中宏輔さん作「□詩」

この作品をご覧になった方はびっくりされるかもしれません。

□がズラリの詩!

構成としてはふたつの部分から成り立ちます。ひとつめは「FORMENTERA LADY。」で、小説からの引用が原作の翻訳に忠実に、文字が全て□で覆われた状態で展開されています。ルビもついてます。かわいい。
ふたつめは「STILL TOO YOUNG TO REMEMBER。」で、こちらは詩が同様に。

小説の方は私の知識の浅さということで、詳しい読解ができないことをまずお詫びしつつ、片手落ちですが続けます。お手元に同じ本がある方は、その伏せられた部分の実体を味わえるのだろうなとうらやましく思いつつ。引用元を見るだけでも、素敵で味のありそうなお話。

詩の方は、知っているものが多い方もいると思います。
ひろがる菜の花畑、流れる川が、と、その元の詩を読んだときと似た、というより実際の文字を追えないので過去に読んだときの純粋な衝撃やイメージだけが浮かびます。

そしてさらに、知らない詩を調べながらあてはめて読むととても美しい姿が。大きな河であり、海であり、母でした。そしてその流れに取り残される孤独感。一見、春のせせらぎに見えたものは、海の波だったのです。

さて、ここで全体を眺め直して気づいたことは、名作はたとえ文字を覆面されていても、形や配置だけでも美しく、田中さんのその組み合わせも絶妙で優雅、見事であるということです。特にそういった名作を重点的にピックアップされたのでしょう。

そして、言葉は姿を失ったとき、引用元の記述のヒントによって、姿ありしとき実際に読む場合にその姿がイメージを結ぶより早く、つまり読解の時間をすっ飛ばし、ダイレクトに印象を強く蘇らせる、という検証をされているのかなと推測しています。言葉はどこまで力を持っているのか。

そこはかとなく私が感じているのは、文字に全て□の覆面をかぶせ、こっそり文字の側から読む人の表情や考えを観察している田中さんの存在です。私が想像するに田中さんはおそらく、美しいものを並べ微笑みながらこの詩を作られた。そしてこの詩を世に出し、読者が接したとき、つまり読み手としてのわれわれは、知識と感性の両方からのアプローチで、反応を試されているのです。

こういう言葉の働きを実験できるというのは、おそらく日本語を客観視できる田中さんならではのことだろうなと感じました。

私が田中さんの詩を読むときは、いつもすっかりリラックスできます。引っ掛かりがまるでないのです。バルコニー席でミュージカル鑑賞状態。この作品もそうでした。
しかも原文を調べて当てはめて遊ぶおまけつき。勉強になったし。ブラボー!

2015/2/22

《以下は2015/2/23に書いたおまけです》

【おまけ】田中宏輔さん作「□詩」鑑賞レシピ とよたん風味

田中宏輔さん作「□詩」(ネット詩歌同人誌 Oracle より)についてのあづにゃん(こと澤あづささん)のひひょーにひじょーに感動した!とよたん(こととよよん)です!!

“この詩は『□(しかく)詩』と銘打ちながら、視覚より聴覚に訴えているのではないでしょうか。
伏字によって失われる「詞」を列挙することで、「聞き取れない声」を表現しているのではないでしょうか。”
(【TLの詩】田中宏輔『□詩』4. 不要なのに引用元をぜんぶ書き写した 2015/02/22 | 「散種的読書架」澤あづさより抜粋)

…ゴクリ。私はこの「聞き取れない声」を脳内で生じるイメージと捉え、「□詩」鑑賞方法を思いついたので、ぜひご利用を!?

①まず、全体の様子を眺めます。□たちの競演をお楽しみください。
②次に引用元をよく見て、元の言葉たちを思い出してください。
③そして目を閉じて、前半は『FORMENTERA LADY。』、後半は『STILL TOO YOUNG TO REMEMBER。』を流しながら、あなたの記憶のなかのイメージを呼び覚まし、増幅させて味わうのです。
そこのあなた、よーつべ画像を凝視してはなりませぬ。目を閉じてアツスケタナカワールドで遊泳するのです。

私のように、②であまりにもわからないときは、文頭にご紹介しましたあづにゃんブログの引用元種明かしをご参照あれ。

□詩は視覚詩であるが、視覚にたよらずどこまで言葉たちが人間の記憶のなかで生き生きとできるかということを実証する、読後、最終的には視覚いらずとなる詩であーる。

そしてあづにゃんのひひょーの行く末もとても楽しみにしているのであーる!

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